Section 1 臨床推論を教えるために
1 臨床推論と診断エラー
2 臨床推論の指導で考慮すべき理論的概念
Section 2 臨床推論を教えるための理論を学ぶ
3 臨床推論のカリキュラム作成
4 よくある認知エラーに対する教育的アプローチ
5 一般的な指導技術
6 臨床推論の評価
Section 3 臨床推論を教えるうえで考慮すべきこと
7 ファカルティ・ディヴェロップメントと普及
8 臨床推論の生涯学習
9 臨床推論の改善
10 診断推論教育のイノベーションと将来の方向性
11 臨床推論を教える:ここからどこへ向かうのか?
用語集
訳者序文
臨床推論というと,読者の皆様はどのようなものをイメージされるでしょうか。多くの方は診断推論のように,いわゆる診断学で扱われるような内容をイメージされるかもしれません。本書で触れられているように臨床推論を診断推論と治療推論に分けるとすれば,本書はClinical Reasoning(臨床推論)と銘打ちつつも,中身はDiagnostic Reasoning(診断推論)に特化してフォーカスが当てられています。
診断医学(Diagnostic Medicine)という分野に耳馴染みのある方はまだ少ないかもしれません。この分野は,診断推論を含む「患者が悩む症状や所見の原因を,医師の洞察力・思考力・行動力を武器に,さまざまな角度から解明していく技術について扱う総論的な医学の領域」と説明すればよいでしょうか。臓器別専門医が多数を占める日本では,この総論的な分野である診断医学を関心の第1 におく医師は多くありません。一方,診断は患者ケアの羅針盤・方針決定を握る決勝点の役割を担うことから,どの医師にとっても重要な臨床的技術です。そのため,あらゆる訴えの患者を初診で診察する臨床医,また医学生,初期研修医や後期研修医の臨床教育に携わる指導医には,診断推論のアプローチを中心とした診断医学には理解と習熟が必要であり,この分野のさらなる発展があれば,医療全体の質の向上に寄与することが期待されます。
日本における診断医学は現在どのような状況でしょうか。全国各地を回って診断教育の現状を観察していると,ていねいな病歴やフィジカル,検査前確率を重視した検査オーダー,症候論をベースにした推論などの診断アプローチはオーソドックスかつ重要であると全国的に認識されている一方,その鍛錬は系統的ではなく,日本においてもいまだゼロベースからの個人の努力によるところが大きいという印象です。患者の訴えから問題点をクリアに洗い出し,そこから仮説を立てそれの妥当性を検証して診断を詰めていくという診断のアプローチの実践と教育の部分を含め,現場レベルではまだまだ教育プロセスの補強が必要です。私も2012年に,本書でも登場するシステム1や2の診断思考の応用型であるpivot and cluster strategy 1)や,Vertical-horizontal tracing,System 3 diagnostic process 2)を扱った論文をはじめ,2014年にこれらの原則的な概念をまとめた『診断戦略』3)という本を出版して診断思考の実用的戦略の明示を試みるなど,診断医学領域における活動を行って参りました。この「診断戦略」に込めた現場で実用できる診断の「型」や原則を軸に訓練し実践すれば,自信をもって診断力を向上させることができる助けになると考えました。前述のとおり,診断医学はこれまで1つの独立した医学領域としては認知されていませんでしたが,日本では,この領域にキャリアの中心をおく人々も増えてきました。日本発の新しい動きで世界をリードしていけば,すでに確立された多くの医学領域とは別の角度から医療に貢献することが期待されます。実際に現在私がいる獨協医科大学病院総合診療科のチームはDiagnostic Medicineの名前をチームの国際正式名称に冠していますが,今後このようなチームが増えてくる可能性も高いかもしれません。
この本は診断医学における基本知識を知るうえで有用と思います。「バックステージ」とタイトルに銘打ったように,この本では,診断推論教育を行う「舞台裏」にあるさまざまな理論や事例が豊富に紹介されています。本書で想定される中心的な読者層は,診断推論を実際に教え始めてその背景や理論を深めたい後期研修医や指導医らではないかと思います。より早期の段階の学習者には少し早いかもしれません。というのも,本書に書かれているような舞台裏やバックグラウンドを知ることは,臨床推論を教えるよりも前の段階では学習の優先順位が高くはなく,その前段階ではむしろ自らの実践を重視して,診断戦略をはじめとした現場での実践的診断の型や原則を軸に実臨床やジャーナルのケーススタディーで経験値を積み上げるほうがよいと思うからです。診断の経験を積み,診断の教育に携わり始めてからさらなるステップアップとして理論的バックグラウンドを学んで教育の裏づけを強化したいときに,座してこの本を開く,というステップがよいのではないかと思います。
この本の具体的な使い方ですが,序文に各章のサマリーが紹介されています。章によっては臨床医にとって馴染みが薄く,ときに理解が容易でないものもあるかもしれません。必ずしも1章から読み進めなければならないわけではありませんので,興味をもたれたところ,または重要と思われたところから読み進めていただくのがよいと思います。また,各章の頭にはキーポイントとしてそれぞれの章のまとめがありますので,こちらだけ全章お読みいただいて本書を俯瞰されるのもよいと思います。さらに,多くの章末には訳者のコラムも書き下ろしました。日米の診断医学の比較や考え方などの参考になるかもしれません。こちらもきっとお楽しみいただけると思います。
この本の他にない特徴は,米国医学界の層の厚さが可能にした診断医学教育についての基本的事項の総説集ともいうべき内容が,Dr. Mark L. GraberやDr. Gurpreet Dhaliwalといった米国を代表する診断医学領域の医師らにより11章にわたり詳述されていることです。このような診断教育の背景をまとめた本は(マンパワーの事情などにより)しばらくは日本からは出ないかもしれません。読者の皆様の明日からの診断,そして診断教育にこの本が少しでも役立つことを願っています。
翻訳に当たっては,本書をご紹介いただいたメディカル・サイエンス・インターナショナルの佐々木由紀子氏に非常にお世話になりました。翻訳やタイトル,挿絵などデザインについても細心のアドバイスとご協力を賜りました。心から感謝申し上げます。
志水太郎