ハリソン物語

第1版 1950年・T.R. Harrison

12/16

われわれは,午前中に仕事をし,午後は遊ぶことに決めた。PaulBeeson がやってきたが,ボストンに住む妻のBarbara Beeson や子供たちは来ることができなかった。直前になってTed Phillips が来られなくなり,代わりにEunice Stevens がやってきた。出席したほかの大人たちは,Bill とLorraine のResnik 夫妻,Max とBecky のWintrobe 夫妻,George とDoris のThorn 夫妻,Betty とTinsley のHarrison 夫妻で,その子供たちの,Kate とPaul Resnik,Susan とPaul Wintrobe,Westy Thorn,Betsy とJohn Harrison がいた。各家族は小さいキャビンに分かれて宿泊し,ロッジに集まって食事をとった。

Thorn と私は,毎朝ジャクソン湖で待ち合わせて,一緒に朝食前のひと泳ぎを楽しもうと約束した。翌朝,私は半分凍えそうになって湖からあがった。ジャクソン湖の水は私には冷たすぎ,私がジャクソン湖で泳いだのは,このときが最初で最後だった。これに対して,私よりも屈強で,マサチューセッツ州北部沿岸の冷たい水にもなれていたThorn は,その後も朝の水泳を続けた。

ワイオミング州での打ち合わせは,編集チームがこれまで開き,その後に開くことになる打ち合わせの中でいちばん実りあるものになった。既に執筆されていた分野の構成や章立てについての詳細が,この場で最終的に確認された。多くの原稿にはコメントや提案が付され,ときには小さな,たいていの場合は大きな書き直しをさせるために執筆者に送り返された。問題ないと判断された章,つまり,編者の全員が一流であると認めた章は,めったになかった。原稿を受け取ってもよいと判断された章は,われわれの間で「dead pigeon(死んだハト)」と呼ばれるようになり,やがてDPと略称されるようになった。打ち合わせが終わる頃には,Beesonは,英語の中で最も甘美な響きを持つ言葉は「DP」であると言うようになっていた。