第1版 1950年・T.R. Harrison
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最初のうち,議論は短く,やり合っていたのは主としてResnik と私だった。Resnik との付き合いが長い私は,たいていの場合Resnikが正しいことを知っていたので,激しく自説を主張するResnik に対してほとんど反論することなく引き下がっていた。これに対して,Resnik とWintrobe との議論は,そう頻繁には起きなかったが,たいていの場合,違った終わり方をした。Wintrobe は,私に輪をかけて声高に主張することがなかったが,Resnik との間で意見の食い違いが生じたときにも絶対に自説を撤回しなかった。どんなときにも感情をコントロールし,決して声を荒げることがなかった彼は,Resnik への反対という点で他の編者から支持を得て,議論に勝つことができたのである。
これより前の打ち合わせでは,Beeson がもっぱら調停者の役割を務めていた。そこに,生まれながらの外交官のようなThorn が加わった。この2 人には,自分の意見を(ときには反対意見さえ)穏やかな言葉で巧みに表明し,全員を納得させてしまう,稀有な才能があった。これは,残りの3 人の編者には決定的に欠けている能力だった。
さまざまな場面で持ち上がる激しい議論の数々が「誰が正しいか」を問題にするものであったなら,われわれのやる気はひどく損なわれていたにちがいない。けれども全員が「何が正しいか」を問題にしていて,エゴを満足させるためではなく,本の質を高めるために議論をしていたので,そのたびに士気が高まる結果になった。
編者の妻たちの間にも友情が芽生え,いつかまたこうした会合に参加したいという願いが生まれた。この願いが,将来の改訂版の準備作業への関心の高まりにつながることになった。
第I部 ハリソン年代記
- 第1版 1950年・T.R. Harrison
- 第2版 1954年・T.R. Harrison
- 第3版 1958年・T.R. Harrison
- 第4版 1962年・M.M. Wintrobe
- 第5版 1966年・M.M. Wintrobe
- 第6版 1970年・M.M. Wintrobe
- 第7版 1974年・M.M. Wintrobe
- 第8版 1977年・G.W. Thorn
- 第9版 1980年・K.J. Isselbacher
- 第10版 1983年・R.G. Petersdorf
- 第11版 1987年・E. Braunwald
第II部 もと編集たちの回想