ハリソン物語

第1版 1950年・T.R. Harrison

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編者どうしの友情が固いものになり,強い敬意が生じてきたのは,このワイオミングでの打ち合わせでのことだった。Wintrobe,Beeson,Thorn の簡潔な文体と専門知識の深さ,そして,内科学全体への関心の高さは,グループの尊敬を集めた。Thorn とBeesonは,外交的手腕と調停能力によっても尊敬され,少なくとも私はこの能力を大いに羨んでもいた。Wintrobe とResnik は,本の質を高めるうえでの献身と,必要なことは人になんと言われようとやり遂げようとする強い意志により尊敬された。編者たちは,内科学の全般にわたるResnik の知識の広さと,何年も前に読んだ文献の内容を思い出す能力の恩恵を受けると同時に,ときに大いに驚嘆した。私は,テキストの基本的な構成と『Principles of InternalMedicine(内科学原理)』という書名を提案し,編集チームをここまで団結させた点で賞賛された(もっとも,最後の点については意見の食い違いがあった。私自身は,この結束はチームの全員とワイオミングの環境がもたらしたものだと考えていたのだが,他の編者は,そのほとんどが私の功績であると言ってくれたのだろう)。

編集チームを団結させるという目的から言えば,舞台はほとんど理想的だった。編者たちは無意識のうちに,壮麗なティートンの丘に目を向けるだけで力が得られるような,聖書の物語に似たイメージを持つようになっていたのかもしれない。こうした印象は,ソリチュード湖やグレイシャー湖への1 日がかりの遠乗りによって,ますます強められた。高い山の上では,昼休みに雪合戦をして遊ぶことも,8 月の太陽の下で日光浴をすることもできた。2 時間の道のりを戻ってくると,自分たちの厩舎を目にした馬たちは,騎手の合図がなくても,ジャクソン湖に隣接する高原の牧草地を全速力で疾走した。

20 年後の今にして思えば,ワイオミングでの打ち合わせが,初版の成功だけでなく,その後の版の成功にもつながっていることがよく分かる。他のどの出来事も,これほどの影響は及ぼさなかった。