ハリソン物語

第1版 1950年・T.R. Harrison

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当日のニューヨークへの旅路は順調そのものだったが,新しいテキストの編集主幹を引き受けるべきかという問題については,考えれば考えるほど気が進まなくなった。そこで,面倒を避けるために,どんな出版社でも受け入れそうにない条件をいくつか考えてみた。もちろん,今回のBlakiston 社の支出に報い,彼らの新しいテキストをより良いものにするために,構成に関するアイディアを明確化することも忘れなかった。

その晩の舞台はすばらしかった(25 年の間に記憶違いが生じていなければ,それは「オクラホマ!」だった)。また,朝食の際に紹介されたTed Phillips には,たちまち良い印象を抱いた。彼は,人間的に魅力があり,新しいアイディアを把握するのが早かった。何よりも,よく売れて,読者にとっての知的な価値も高い本とはどんなものかをよく知っていた。

話し合いの最初の部分は,構成についてだった。その場にいた全員が,既存のテキストの構成が時代遅れであるという認識で一致していた。なにしろこれらの教科書は,疾患の生理学や生化学について何も知られていなかった時代に出版されたOsler の医学書の初版から,ほとんど何も変わっていなかったのだ※2。当時の臨床医学は主として経験的なものであり,第1 に病理解剖学,第2 に微生物学の観点から論じられていた。疾患や診断がどんなものかという点については多くのことが知られていたが,どうしてそうなるのかという点や治療についてはほとんど何も知られていなかった。

※2 訳注:Tinsley Harrison の父のWillian Groce Harrison も医師であったが,『オスラー内科学』の初版が出版された翌年の1893 年に,ジョンズ・ホプキンス医学校のOsler のもとで仕事をしている。