ハリソン物語

第1版 1950年・T.R. Harrison

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私は言った。編集チームは,出版社と,あるいは編者どうしで,かなりの頻度で短時間の打ち合わせをしなければならないだろう。それとは別に,長時間にわたる打ち合わせも必要だ。こうした打ち合わせは,10 日から2 週間ほどかけて,ゆったりと腰を据えて進めたい。そのためには,快適な場所を用意してもらわなければならないし,仕事の時間とレクリエーションの時間とをはっきり分けることも必要だ。もちろん,編者の家族も同伴させるべきである。これにより,編者の間に友情がはぐくまれ,士気も高まるだろう。長い目で見れば,これから何度も版を重ねることになる一流のテキストの初版を生み出し,維持するためには,強い団結心があるかどうかが重要になるはずであるからだ。

Phillips は即座に,少なくとも初版については,打ち合わせのために1 万ドルの必要経費を認めるつもりだし,以後の版についても,できればそうしたいと返事をした。編者はこの費用で,仕事を進める役に立つと思うことをなんでもすることができる。彼はさらに,一般のテキストに比べてかなり高めの印税も申し出た。

この段階で,私の切り札は1 つしか残っていなかった。切り札が功を奏して,話し合いを終わらせ,私を解放してくれる可能性は大きかった。私は既に,自分が本当に解放されたいのかどうか,第1 版―1950 年2 T.R. Harrison確信が持てなくなっていたのだが,とりあえず切り札を出して,その結果を見てから心を決めることにした。

私は言った。自分はまだ編集主幹を引き受けることを躊躇しているが,編者の候補について考えることは有益だろう。まず,少なくとも1 人は開業医でなければならない。適当な人物が見つかれば,研究者ばかりで構成された編集チームが,医療の現場に適さないような本をつくってしまうことを防いでくれるだろう。私は,そうした人物の候補としてBill Resnik の名をあげた。2 人とも彼の名前を聞いたことがないだろうと思った私が彼について説明しようとすると,Fishbein がそれをさえぎった。自分は個人的にはResnik を知らないが,彼は国内で最高の内科専門医の1 人であると思っている。編者の1 人を,医学の研究ではなく実践に関わっている人物にするというアイディアにも大賛成だ。