ハリソン物語

第1版 1950年・T.R. Harrison

9/16

議論はもっぱら,私と,Wintrobe,Ted Phillips の3 人によって進められた。Phillips は専門知識こそ持っていなかったが,構成について良いアイディアを出してくれた。彼らに比べるとBeeson はあまり発言しなかったが,要所要所で見事な提案をした。Resnikはしばしば1 時間以上も何も言わないことがあった。決定に異論がないかぎり,彼は何も言わなかったし,異論があるときも,しばらくの間はコメントを差し控えていた。そして,とうとう我慢できなくなると,やおら怒りを爆発させて「Tinsley,君はクレイジーだ!」と怒鳴るのだ。20 年以上にわたってResnik と親しくつき合い,何度も議論をしたことがあった私には,Resnik の怒りが,私の人格ではなく具体的なアイディアに向けられていることがよく分かっていた。それゆえ,Resnik に私を攻撃しようとする意図がなかったのと同様に,私にもResnik から攻撃されたという意識はなかった。やがて,チームの外のメンバーも,Resnik の怒りの爆発に同じように対応するようになった。Resnik の怒りには,多くの場合,もっともな理由があった。初版から第5 版まで,彼の怒りは何度も爆発しているが,それが理にかなったものであったことは,できあがった本を見ていただければよく分かるだろう。Resnik とWintrobe のこだわりは,他の編者たちが妥協することなく,まずくはないが,手を入れればもっと良くなる原稿を受け取ることを阻止するのに役立った。その場の雰囲気があまり険悪になってきたときには,Beeson が(後にはThorn も)仲裁に入って,まるくおさめた。

初版を準備する間,私は編集主幹としてペースメーカーになろうと決意し,続く数ヶ月のほとんどを,何章もの草稿の執筆に費やした。その大半は心臓血管系についての章だったが,腎臓の機能や,電解質,浮腫などについての章なども執筆した。さらに,代謝を専門にする編者がまだ確保できていなかったので,中間代謝についての章も執筆した。私が執筆したこれらの章と,他の編者が執筆した数章は,すべてグループの全員に回覧され,批評され,徹底的に議論された。