ハリソン物語

第2版 1954年・T.R. Harrison

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私は早速,他の編者にも電話をかけ,Resnik ほど怒っている者はいないが,全員が基本的に同じ意見であることを確認した。われわれは,契約の文言には反していないが,その精神に反するような販売方針に対して断固たる態度をとることに決め,1955 年5月にアトランティックシティーで開かれることになっていた打ち合わせの際に,この件についてBlakiston 社側と話し合いをすることにした。

なお,初版が出た後,私自身の強い主張により,1 人の編集主幹と編集チームという当初の体制を崩すことが決まっていた。私の考えは単純だった。いまや,編集チームの1 人ひとりが,自分と同じくらいこの本に関心を持ち,時間を割いている。それなのに,編集主幹という肩書きを持つ私1 人が,友人を搾取する形で2 倍の印税を受け取り続けるというのは,どう考えてもおかしい。よって今後は,すべての編者が,肩書,権利,経済的見返りの点で平等に扱われるようにしたい。私は常識としてこう提案したのだが,他の編者は,これを私の気前の良さの現れとして受け取ったようである。

会談に参加したのは,Frank Egner,Eunice Stevens,Wintrobe,Thorn,Harrison,そして,Resnik の委任も受けているBeeson だった。事前の打ち合わせにより,編集チームのスポークスマンは私ということに決まっていたが,都合がつかずに欠席することになったResnik は,Harrison のようなのんびり屋に出版社との交渉をうまく進められるのだろうかと心配していた。実際,法律の素人であるわれわれが見ても,新しい販売方針を採用することは出版社の法的権利の範囲内にあるように思われたし,協議に先立って相談を持ちかけた法律顧問も同じことを言っていた。けれどもわれわれは,それを承知で協議に臨んだ。われわれは,自分たちが切り札を持っていることを知っていたし,必要とあればそれを使うことも辞さない覚悟だったのだ。