第2版 1954年・T.R. Harrison
激しい議論の最中に,私は,Frank Egner とEunice Stevens が,編集チームの中に意見の食い違いがないかどうか探っているのを感じていた。あいにく,われわれの間に,そんなものはなかった。編者の全員が,自分は仲間たちとまったく同じ意見であると繰り返したのだ。Beeson は最後に,自分はResnik の委任を受けているが,彼もまた新しい販売方針に激しく憤っていると言った。
会談の結果,出版社は問題の販売方針を撤回することに同意した。今後,出版社がそれを変更する際には,あらかじめ編者に相談しなければならず,『ハリソン内科学』とセット販売される本は,編者の承認を受けたものでなければならないことも決まった。
戦いは終わり,ふたたび平和が訪れた。けれども,ひとたび失われた協調や信頼を短期間で取り戻すことは,概して難しいものだ。出版社を信頼できなくなった編集チームは,第2 版の準備に対する熱意を失ってしまった。神経学分野の執筆者および新しい編者としてAdams が加入したという強力な刺激があったにもかかわらず,われわれはこの版に,初版ほどの情熱を注ぐことはできなかった。神経学を除くと,第2 版は前後の版に比べて質が低いというのが私の意見である。
幸い,物語はハッピーエンドで終わる。第3 版の作業がはじまる頃,ボストンのLittle, Brown 社に移っていたTed Phillips から手紙が届いた。Blakiston 社はMcGraw-Hill 社に買収された。皆さんはすぐに,McGraw-Hill 社が一流の出版社で,自分たちと同じ考え方をしていることを知るだろう。彼の予言はすぐに立証された。第3 版,第4 版,第5 版の作業の間,編者と出版社との関係は非常に良好で,ほとんど理想的であるとさえ言えたのだ。※2
※2 訳注:もともと,第二次世界大戦中にDoubleday 社がBlakiston 社を買収した目的は,Blakiston 社に豊富に割り当てられていた紙にあった。そのため,戦後になって紙の割り当ての問題が解消すると,医学書部門をより強力なものにしたいと考えていたMcGraw-Hill 社に,Blakiston 社を譲渡することにしたのである。なお,『ハリソン内科学』第2 版の序文の末尾の,「われわれはこの場を借りて,Blakiston 社のFrank Egner 氏の親切と協力に対して心からの感謝を捧げたい。われわれはしばしば気難しく振る舞ってしまったかもしれないが,これは,作家や学者の職業病の徴候なのだ」というくだりは,このときの対立を示唆するような記述である。
- 第1版 1950年・T.R. Harrison
- 第2版 1954年・T.R. Harrison
- 第3版 1958年・T.R. Harrison
- 第4版 1962年・M.M. Wintrobe
- 第5版 1966年・M.M. Wintrobe
- 第6版 1970年・M.M. Wintrobe
- 第7版 1974年・M.M. Wintrobe
- 第8版 1977年・G.W. Thorn
- 第9版 1980年・K.J. Isselbacher
- 第10版 1983年・R.G. Petersdorf
- 第11版 1987年・E. Braunwald