第3版 1958年・T.R. Harrison
対照的に,McGraw-Hill はテキストをつくる会社だった。こうした本は何回も版を重ねるのが普通であり,その成功は,本の知的水準をきちんと評価する教育者たちに支持されたかどうかによって判断される。そのため,McGraw-Hill 社は,出版前に本のコンセプトが正しいかどうかを判断するという,まっとうな方法で仕事を進めていた。
われわれはときどきMcGraw-Hill 社の取締役の1 人か2 人と会い,一緒に食事をすることもあった。けれども,最も関係が深かったのは,Doubleday 社から買い取られたBlakiston 部門の部長に就任したBill Keller だった。彼との仕事は,Ted Phillips との初版の仕事と同じくらい面白かった。質的水準の高さに対して,Bill はわれわれと同じくらい厳しい要求をした。ニューヨークでの短い打ち合わせは,1 年に2 回,2 日間ずつ行われるのが普通だった。仕事は朝食の時間から昼食の時間まで続くので,どちらの食事もホテルの部屋に届けられた。話し合いは夕暮れ近くまで続くこともあり,ときには激しい議論になることもあった。Bill Keller は,次の版で新たに迎え入れる執筆者や,計画している新しい構成の長所や欠点などについて多くの有益なアイディアを出し,編集チームも彼の判断を重視した。
1 日の仕事が終わると,ホテルの部屋でカクテルを飲んでから高級レストランに繰り出すのが常だった。Bill はその間,編集チームを大いに楽しませてくれた。フランス料理のレストランにも何度か行ったが,ニューヨークで最も値段が高いと言われるレストランに行ったときなど,Bill Keller に渡された伝票を覗き込んだ私は,彼のスコットランド人の祖先が化けて出るのではないかと思ったほどである。※2
※2 訳注:スコットランド人は一般に倹約家(ひらたく言えばケチ)であるとされている
- 第1版 1950年・T.R. Harrison
- 第2版 1954年・T.R. Harrison
- 第3版 1958年・T.R. Harrison
- 第4版 1962年・M.M. Wintrobe
- 第5版 1966年・M.M. Wintrobe
- 第6版 1970年・M.M. Wintrobe
- 第7版 1974年・M.M. Wintrobe
- 第8版 1977年・G.W. Thorn
- 第9版 1980年・K.J. Isselbacher
- 第10版 1983年・R.G. Petersdorf
- 第11版 1987年・E. Braunwald