第3版 1958年・T.R. Harrison
レストランでは,「長い打ち合わせ」の場所をどこにするかという話ばかりしていた。Doubleday 社との騒動を抱えていた第2 版の準備中には,編集チームは,仕事あり遊びありの「長い打ち合わせ」をしたいとは思わなかった。けれども,McGraw-Hill 社によるBlakiston 社の買収をきっかけに士気を取り戻したわれわれは,ワイオミング州でともに過ごした頃の活気を取り戻すために,ふたたび「長い打ち合わせ」をしたいと考えるようになっていたのだ。なんと言っても,Adams とBennett はシグナルマウンテンロッジでの打ち合わせには参加していなかったし,他の編者たちも,自分たちの妻と2 人の妻とを引き合わせたがっていたからである。
最終的に,打ち合わせの場所は,バージン諸島のセントクロイ島にあるカールトン荘に決まった。今回は子供たちの参加は見送られ,妻たちだけが同行できることになった。長年にわたって私の秘書として勤めてきたMinnie Mae Tims にも一緒に来てもらうことになった。
初版の準備中,Minnie Mae Tims は非常に重要な役割を担っていた。彼女は寄稿者との連絡を管理し,各章の進行状況を表にして,原稿が到着しはじめると毎日それを更新し,個々の原稿の締め切りや,執筆者に手紙を書くべき時期などを私に知らせてくれた。彼女はやがて,良い原稿を書かせるためには,どの執筆者にはおだてが有効で,どの執筆者には厳しく接するべきかということまで把握するようになった。私は当時,学部長としての仕事のほかに,American Heart Association の会長,National Advisory Heart Council のメンバー,および,フォード財団のDuckett Jones' Health Study Committee のメンバーとしての仕事を抱えており,彼女の献身的なはたらきがなかったら,編集主幹としての仕事を十分にこなすことはできなかっただろう。セントクロイ島での打ち合わせに彼女を招いた背景には,日ごろのこうした仕事ぶりへの感謝の気持ちがあったのだ。
- 第1版 1950年・T.R. Harrison
- 第2版 1954年・T.R. Harrison
- 第3版 1958年・T.R. Harrison
- 第4版 1962年・M.M. Wintrobe
- 第5版 1966年・M.M. Wintrobe
- 第6版 1970年・M.M. Wintrobe
- 第7版 1974年・M.M. Wintrobe
- 第8版 1977年・G.W. Thorn
- 第9版 1980年・K.J. Isselbacher
- 第10版 1983年・R.G. Petersdorf
- 第11版 1987年・E. Braunwald