ハリソン物語

第3版 1958年・T.R. Harrison

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カールトン荘は,「長い打ち合わせ」にはうってつけの場所だった。各カップルには小さなコテージが割り当てられ,食事は母屋のメインダイニングでとった。シェフの腕前はすばらしく,食事は最高だった。編集会議は,カールトン荘から2 マイル離れたビーチのあずまやで開かれた。カリブ海は2 月でも暖かく,泳ぐことができた。天気は穏やかで快適だった。午後には全員でテニスやゴルフ,乗馬,観光などを楽しみ,バンドが演奏するカリブ音楽を聞きながら夕食をとり,踊ることもあった。なかでも熱心だったのがBennett 夫妻で,彼らはナイトクラブにもよく通っていた。カールトン荘のコックとウェイトレスの案内を受けて,Wintrobe 夫妻とともに地元のあやしげなクラブを訪れたこともあったようだ。

われわれは,1 日がかりでピクニックに出かけたこともあったが,その前日には朝から晩まで仕事をした。編集チームとしての良心が,仕事を怠けることを許さず,特権に対する先払いをさせたのである。ピクニックの目的地は数マイル離れたところにあるバック島で,島までは補助エンジンつきのヨットで移動した。バック島の海岸はすばらしく,波がまったくなかったため,ゴーグルをして泳いでいると,15m 以上の深さの海底まではっきり見えた。

第3 版の構成や執筆者の変更についての計画は,1 年以上も前にできあがっていた。完成時期は,1958 年の春の終わりから夏のはじめ頃になる予定だった。そのため,1957 年の2 月にセントクロイ島で「長い打ち合わせ」が行われた時点では,ほとんどの章の原稿が集まっていて,原稿の批評と修正のための提案が主な作業になった。個々の原稿が十分な水準に達していることを編者全員が認めればすぐに終わるはずの作業だったが,そう簡単にはいかなかった。Thorn が機知に富んだ言い回しで異を唱え,Resnikが手厳しく批判すると,その他の編者を交えた活発な議論がはじまるのだ。