ハリソン物語

第3版 1958年・T.R. Harrison

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編集チームは,大きく2 つのタイプに分かれていた。Beeson,Thorn,Adams,とりわけHarrison が,問題の原稿の欠点ではなく長所を評価するタイプだったのに対して,Resnik とWintrobe は厳格な完璧主義者で,細かい欠点を追及するタイプだった。彼らは,どんなによく書けている章でも,それをさらによくするのが編者の仕事であり,そのためには批評の手を緩めてはならないという信念を持っていたが,初版と第2 版については,しばしば「お説ごもっとも」的な多数派に押し切られる格好になっていた。

穏健派のBeeson に代わってうるさ型のBennett が入ったことで,第3 版から第5 版までの準備期間には,両派の頭数は3 対3 になった。さらに,穏健派の面々もBennett の強硬さに感化されて,次第に厳しい判断をするようになっていた。「ウルフ・システム」は,この時期にますます厳しいものになったのである。

今にして思えば,セントクロイ島での「長い打ち合わせ」は,『ハリソン内科学』の最初の20 年間の頂点の1 つといえるものだった。おかげで,第3 版は,これに先立つ2 つの版に比べて決定的によくなった(と,少なくとも私は考えている)。編者たちもその妻たちも互いに親密になり,レクリエーションや社交の観点からも,この会合は大成功だった。友情の絆は強まり,少し前までは暗いように思われていた『ハリソン内科学』の「予後」は,ふたたび明るさを取り戻したのである。