ハリソン物語

Adamsの回想 Raymond Adams

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『ハリソン内科学』の大成功は,一朝一夕にもたらされたものではない。その初版は,執筆者たちの予想以上によく売れたが,部数はさして多くはなかった。ただ,第10 版に至るまで,新しい版の販売部数は常に前の版を上回っていたのである。

初期の成功の理由は,それが,内科学の他のテキストとは一線を画する方法で,医学研究と臨床医学との間の溝を埋めていたからだと思われる。すなわち本書は,(1)最初に症状や徴候,次に症候群,最後に疾患という順番で学習する最新の内科学教育の摘要になっていて,これに沿って学習することができた。さらにこれにより,(2)生化学,生理学,細胞病理学の各分野の最新のデータにもとづいて臨床症状や病因を理解することができたのである。初期の版の弱点は,後半の,疾患そのものについての記述にあった。批判を意識した編集チームは,全員がなんらかの形で医療の現場に携わっていたことから,なんとかしてこの弱点を克服しようとしたが,最初の数版では果たせなかった。

本書における神経学と精神医学の位置づけは,常に変則的だった。Thorn,Wintrobe,Resnik,Beeson は,臨床研修のほとんどをジョンズ・ホプキンス大学や,スタッフの大半がこの大学の卒業生によって占められている病院で受けていたが,実を言うと,この大学には神経学は存在しないも同然だったのである。Tinsley Harrisonがいた当時のピーターベントブリガム病院も,せいぜい,開業神経科医による行き当たりばったりな診察が行われていた程度だった。当時は,精神科や神経精神科は基本的に精神病院にしかなく,全米でも精神科がある総合病院はほとんどなかったのである。