ハリソン物語

Adamsの回想 Raymond Adams

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私にとって,シチリア島での「長い打ち合わせ」は,最も思い出深いものになった。タオルミナから出発して島を一周した旅は,そのハイライトだったと言ってよい。平素からギリシャ神話に深い関心を寄せていたHarrison は,シラクサでギリシャとローマの遺跡を見て回ったときには大はしゃぎだった。運転手役のBettyHarrison は,1 つひとつの遺跡の背景にある物語を想像力の赴くままに解説する夫の言葉を辛抱強く聞いていた。最後のディナーには,ティメオホテルのシェフが,われわれの本を忠実に模したケーキをつくってくれた。

ロックフェラー財団がベラッジオに所有するセルベローニ荘で開かれた「長い打ち合わせ」も印象的だった。その所在地の美しさは群を抜いていて,オークの木の下で開かれる毎日の会合はすばらしく愉快だった。丘の中腹にあるテニスコートは,毎日,私たちだけのためにローラーがかけられ,Thorn と私は毎日のようにテニスの試合を楽しんだ。テニスコートの周囲にあるバラの茂みはちょうど満開で,四隅には巨大なセコイアの木があった。見上げればアルプス,眼下には湖が広がる景色は見事としか言いようがなく,景色に気をとられてボールを見失うこともしばしばだった。

マデイラ島で「長い打ち合わせ」が開かれる頃には,古い編者が去り,新しい編者が参加しはじめた。Beeson に代わって第3 版から感染症分野の編者になったBennett は,ジョンソン大統領府科学技術局の副局長に就任しために,「ハリソン組」から退かざるをえなくなった。彼がチームを去ったのは,『ハリソン内科学』のために割ける時間がなくなったという理由のほかに,患者のケアに当たらなくなった者は編者としての資格を失うという約束もあったからである。われわれにとって,彼がいなくなったことは痛手だった。なぜなら彼は,編集上の問題を解決するのが非常に上手だっただけでなく,ジョンズ・ホプキンス大学の病理学教授および臨床家として,疾患について,われわれの誰よりも広い知識を持っていたからである。惜しまれながらチームを去ったBennettの後任としてPetersdorf が加入し,70 歳という引退年齢に達していたResnik とHarrison の後任としてIsselbacher とBraunwald が加入した。新しい編者は皆,それぞれの分野で傑出した業績をあげている人物で,たちまち従来の編集哲学に順応するとともに,新しいものの見方ももたらした。新しい編集主幹としては,Wintrobeが選出された。