第1章 老化の生物学の基本コンセプト
第2章 生物学的老化を測定する
第3章 寿命と老化に関する進化の理論
第4章 細胞の老化
第5章 寿命の遺伝学
第6章 植物の老化
第7章 ヒトの寿命
第8章 ヒト老化の生理学
第9章 ヒトの加齢性疾患
第10章 不老長寿の実現
付録:2006年米国生命表
監訳者序文
「老化生物学」の監訳を担当し,その任から解放されつつある今,改めて監訳者の序文として,本書の特徴(あるいは類書との違い)を,私個人の知る範囲で述べたい。
老化研究を揶揄した言葉に,「6人の盲人と象」というインドの逸話があるのをご存じだろうか。「象とは,どのような生き物か」という問いに対し,6人の盲人が,それぞれ象に触れて説明しようと試みる。「鼻」に触れた人は,「象とは鼻が長い生き物です」とコメントする一方,その「耳」を触った人は,「耳が大きな動物です」と説明する。6人それぞれが断片的には正しい説明をするが,象の全体像に近づくことは出来ないというジレンマのことである。「6人の盲人と象」こそ,老化研究で仮説が乱立し,老化の複雑さが強調される一方で,その包括的な理解が進まない現況を皮肉っている。
しかし,「6人の盲人と象」という言葉は,本書で度々強調される「ランダムな過程の生み出す,老化の多様性(ばらつき)」を的確に表現しているとも解釈できる。今後の老化研究の進展のためには,7人目の別の視点から,6人の意見をまとめ,「老化」という巨象の全体像を明らかにする学際的・多面的アプローチが重要である。本書はまさに,その7人目の視点をここに提供しており,著者Roger McDonaldのその先見性に,最大の敬意を払いたい。
そのような著者Roger McDonaldの努力により,初めて「老化の教科書」と呼ぶべきものが,ここに提示されたと私は思う。従来の老化関連書の多くは,最新の老化の情報や基礎研究の成果に焦点を当てるか,あるいは臨床の老年医学・高齢者医療に関するもののどちらかがほとんどであり,本書のように,基礎老化研究と臨床高齢者医療の両方を同時に扱ったものは大変珍しい。つぎに,老化研究の性質上,想定される幅広い読者層を踏まえて,生理学や細胞生物学の基本から簡潔に記述し,その破綻変容がいかに老化に結びつくのかを説明している点も,これを老化の教科書と呼ぶにふさわしい。さらに,類書にはみられない,進化学(第3章)や植物の老化(第6章)にも触れている鋭い学際的視点が,老化に対する洞察を深めている。よって,本書を読んで欲しい対象とは,老化現象の基礎研究を行う専門家のみならず,老化に関連する遺伝子や細胞,動物モデルを扱う研究者や大学院生,学生,さらには,高齢者医療・抗加齢医学(アンチエイジング)に携わる医師・研究者であり,ぜひ手にとっていただきたい。
本書の教科書的な意味合いを損なわず,かつ最新の情報も網羅するために,翻訳陣には,日本老年医学会,日本抗加齢医学会,日本基礎老化学会,日本分子生物学会など最先端で精力的に活躍する経験の深い先生方に,それぞれの専門分野と合致するよう,担当をお願いした。皆さん,多忙の時間をぬって,翻訳に尽力いただいたことに,本当に感謝申し上げたい。さらに,担当いただいた編集の星山大介さんを始め,メディカル・サイエンス・インターナショナル書籍編集部の方々も,多大な努力と一貫した忍耐で,この難事業に接していただいき,心から深謝する。関係者全員の老化研究に対する熱意が,この翻訳事業を完成させたと私は理解している。
最後に,詩人であり,教育者でもあった宮沢賢治の詩「生徒諸君に寄せる」の一節を引用したい。
新らしい時代のダーウヰンよ
更に東洋風静観のキャレンヂャーに載って
銀河系空間の外にも至って
更にも透明に深く正しい地史と
増訂された生物学をわれらに示せ
「老化生物学」という学問が今始まるならば,新時代のダーウィンは一体誰であろうか。歴史に判断を委ねるしかないが,著者Roger McDonaldを挙げる人もいるかもしれない。あるいは,本書を教科書として読んだ若い日本の世代にこそ,将来のダーウィンは眠っているかもしれない。もし本書がそんな測量船ビーグル号の役目を果たすならば,われわれ翻訳陣の努力も報われたと感じるし,そうなる希望を本書のタイトル「老化生物学」に託し,私の序文を終えたい。
2015年7月 水遊びする子供達の声が心地よい京都にて
京都大学医学部附属病院高齢者医療ユニット 近藤祥司