真菌症の起炎菌となる医真菌に関して、最新の分子生物学的知見に基づいた自然分類体系による分類と、デジタルマイクロスコープを用いた美しい写真によって、それぞれの“顔”に迫る。本書で扱う医真菌100種が臨床的な頻度ではヒトの起炎菌の99%を網羅する。感染症・皮膚・呼吸器・眼などの各科臨床医、臨床微生物検査を担う検査技師、獣医師などが活用できる、これまでにない、ユニークかつ貴重なアトラス。
はじめに
カビ(黴)と呼び習わされている真菌(カビ,コウボ,およびキノコを含む)は広く地球上に生息し,多くの場合は分解者として生態学的役割を果たしている生物群である。その種数は多く,既知の菌種は10万種を超え,未知の種数は150万種とも数百万種とも推定されている。
ヒトが生活するうえでカビと関わらずにいることは不可能である。これは日々の食品は言うに及ばず,人工的閉鎖環境の極致ともいえる国際宇宙ステーションにおいてもカビによる環境汚染を制御し得ないことからも明らかであろう。まさに我々の生活はカビに囲まれ,カビの上に立っていると言っても過言ではない。
結果的に,我々ヒトは多くのカビに対する免疫を獲得してきた。したがって本書に記載されている菌種の多く(通常はBSL1)は,通常の生活を送っている健康なヒトを障害することはない。
しかし,我が国ではおおむね1970年以降,真菌による健康障害が問題となった。これは,医学・医療の高度化・複雑化を主因とし,生活環境の高気密化や国際的な人物交流の一般化等に伴ったものと考えられている。
医真菌学では,真菌に似た形態を示し,また真菌による健康障害に類似した病態を生じる微生物群を一塊として「医真菌」と称してきた。医真菌による感染やアレルギーなどの健康障害は真菌症と呼ばれる。真菌症のなかでもとりわけ深部臓器に感染する深在性真菌症は診断が困難であることに加えて,抗真菌薬の開発が困難であるため耐性傾向が高く,治療も容易ではない。そのため,今日では病理解剖の集計上,死亡例20人中1人以上は深在性真菌症であり,その比率は依然上昇している。
これら真菌症に対する臨床的な関心は高まっているものの,その原因微生物であるカビをはじめとした生物としての真菌・医真菌そのものについての理解はきわめて限定的であり,教育の機会も確保されていない。地球を守り,我々の生活を助け,ときに健康を障害し高度・高額医療下にある症例の生命予後を規定する真菌は,我々の生活環境に最も身近な微生物である。我々が初めて認識した微生物群が真菌であることは,有害または病原微生物を意味する黴菌(バイキン)が,黴と菌(菌=キノコ),すなわちいずれも真菌を意味していることからも明らかであろう。
かかる状況をふまえ,世では直接的な医療上の実用性に応じた診断・治療のガイドラインが求められているなか,あえて病原体である医真菌の生きた姿にスポットライトを当てることを企画したのが本書である。
既知の真菌の中で,ヒトに病原性を示す医真菌は1%に過ぎない。しかし,その変わり者のカビたちはそれぞれきわめて多様でユニークな,そしてときに奇妙な美しい形態(「顔」と呼ぶことが多い)を有しており,それを観察できることは直接顕微鏡を覗くことができる一部の研究者のみの楽しみであった。
ところが近年,デジタル顕微鏡を初めとする微細撮影技術の向上も相まって,従来困難であった「生きたカビの顔」を接眼レンズから離れて写真に残すことが可能となった。この時宜を得て,最新の分類学に基づいて真菌をはじめとする真菌症の病原体である主要「医真菌」100種を例示し,その微生物としてのありかたを楽しんでいただければとの思いが,本書の真の意図である。「博物学的な」微生物学の復興を企図したものと言ってもよい。
本書の骨子は上述のとおり,医真菌の分類と顕微鏡写真であるが,他の学問同様分類学にも流動性があり,常に書き換えられる定めにある。今も新しい論文を前にしているが,その採用は来たるべき改訂まで待ちたい。また,顕微鏡写真についても日々新しくより良い写真の撮影が可能となっているが,いつまでも図版の更新を続けていると筆者の生命の限り永久に出版はできなくなることから,先ずはこれも割愛した。
本書を礎とした次の出版に期待されたい。
本書執筆にあたっては,各微生物の学名に語源をつけることで命名者の思いの一部を共有し,より親しんでいただけることを意図した。この語源検索については,その大部分が佐藤一朗博士の手によるものである。学名はアレシャフニ ムハンマドマハディ博士に確認を依頼した。安全性(BSL)は槇村美保博士が確認した。また,多くの真菌写真を内外の研究者からご提供いただいた(お名前は写真提供者一覧をごらんいただきたい)。各位のご助力がなければ本書は頓挫したに違いない。また,筆者のわがままな進捗と図版の変更等にお付き合いいただき,根気強く励まし続けていただいた豊嶋純子氏をはじめとするメディカル・サイエンス・インターナショナルの皆様の御尽力に心より御礼申し上げたい。
以上,多くの力添えを頂きながら,生きたカビたちの美しさが読者を医真菌に誘うことを願って本書の序文とする。
2019年1月26日
槇村 浩一 識
2022-03-14
【正誤表】下記の箇所に誤りがございました。ここに訂正するとともに, 読者の方々に深くお詫びいたします。
p53 クラドフィアロフォラ・バンチアナ
学名語源
誤:Bantia(地名 イタリア)
正:Guido Banti(1911年に本菌を初めて脳膿瘍から分離したイタリア人医師・病理学者)に対する献名
2020-01-16
【正誤表】下記の箇所に誤りがございました。ここに訂正するとともに, 読者の方々に深くお詫びいたします。
p1,3,5,7,9,11,13,15
(誤)聖水用散水器
(正)灌水棒
2019-05-20
【正誤表】下記の箇所に誤りがございました。ここに訂正するとともに, 読者の方々に深くお詫びいたします。
プロトテカ・ゾフィー (p189, 右端 ピクトグラム内 生態的ニッチ 動物がリザーバか?)
(誤)グレー
(正)カラー
著者注:この藻には1型と2型があり,環境由来の1型とウシ乳房炎を(時にヒトの感染も)生じるウシ寄生性の2型があるため,動物リザーバ・ピクトグラムもカラーにしておく必要があると考えた。
2019-03-12
【正誤表】下記の箇所に誤りがございました。ここに訂正するとともに, 読者の方々に深くお詫びいたします。
ピクトグラム(p x)
(誤)解剖学的標的
(正)感染部位
(誤)バイオセーフティレベル
(正)安全性(BSL)
ペルソナ・ノン・グラータ(p197)
(誤)転々と
(正)点々と
2019-03-04
【正誤表】下記の箇所に誤りがございました。ここに訂正するとともに, 読者の方々に深くお詫びいたします。
マズレラ・マイセトマチス(p89,学名語源内)
(誤)菌種
(正)菌腫
2019-02-28
【正誤表】下記の箇所に誤りがございました。ここに訂正するとともに, 読者の方々に深くお詫びいたします。
前付け(p xiii,5行目)
(誤)最近に比して甚だ困難となっている。
(正)細菌に比して甚だ困難となっている。
抗真菌薬感受性の項目内(p3,19,21,23,25,27,29,33,35,37,45,53,55,71,73,89,101,103,123,141,143,145,147,
149,169,171,173,175,177,179,)
(誤)テルブナフィン感受性
(正)テルビナフィン感受性
アスペルギルス・ニゲル内(p7)
(誤)②1月培養デジタル顕微鏡100倍像
(正)②1か月間培養デジタル顕微鏡100倍像
クリプトコックス・ガッチィ内(p153)
(誤)Cryptococcus gattii
(正)Cryptococcus gattii(イタリックに)
リゾプス・アリツス内(p175)
(誤)クニンガメラ
(正)カニングハメラ