ロンドンにおけるコレラ発生時に感染源を特定し、ビクトリア女王にクロロホルムを用い無痛分娩を行った医師として名高いジョン・スノウの評伝。 5人の学者が共同で6年の歳月を費やした労作の翻訳。当時の膨大な資料を丹念に読み解き、ときに再構築し、その業績、人物像を浮き彫りにする。とくに麻酔の発展や疫学の誕生のバックボーンとなるスノウの考え方がいかに培われたのかを、研究書と言えるレベルの情報量、洞察力により丁寧に描いている。
まえがき
謝辞
序章
第一章 ヨーク、ニューカッスル(一八一三~三三年)
第二章 上級見習い、助手(一八三〇~三六年)
第三章 ロンドンでの医学・外科修業(一八三六~三八年)
第四章 ロンドンでキャリアを積む(一八三八~四六年)
第五章 エーテル
第六章 クロロホルム
第七章 コレラはどこから来るか?─論争と混乱
第八章 スノウのコレラ理論
第九章 麻酔専門医としての成功
第十章 コレラとロンドンの水道
第十一章 ブロード街のポンプ
第十二章 コレラ流行地図
第十三章 スノウ対衛生改革派
第十四章 麻酔法のさらなる進展
第十五章 共通の場―連続的分子変化
第十六章 スノウのさまざまな遺産
訳者あとがき
参考文献
索引
まえがき
この本は、英国ビクトリア時代の前期に活躍した医師、ジョン・スノウ〔一八一三〜五八〕の生涯と業績に強い興味を持つミシガン州立大学の五人の教授の共同研究の成果である。我々が仕事を始めた頃、ある人は我々をやや当惑させるあだ名「snowflake(スノウフレーク)」〔flake には「変人」の意もある〕と呼んだが、五人はくっついたフレーク(剥片)
であった。教育や専門がみな異なっていたので、五人の間にいつも調和があったわけでもない。ピーター・ヴィンテン=ヨハンセンはヨーロッパ出身の知的な歴史家、ハワード・ブロディは哲学者-医学者、ニジェル・パネスは疫学者-医学者、スティーブン・ラックマンは米文学・文化歴史家、マイケル・リップは医学地理学者-疫学者である。我々は、スノウの著作と医学史における彼の意義について、かなり異なる観点をもってこのプロジェクトを始めた。全員が、一八五四年のロンドンのコレラ流行に関する彼の調査は非凡な業績であると同意したので、その事件を比較的短い伝記としてまとめようと考えた。いくつかの共同執筆原稿やプレゼン資料が出来て、スノウに関する共通の認識が生まれた。しかし我々は徐々に、包括的かつ学際的な伝記にすることこそがスノウのためでもあると考えるようになった。
我々の観点では、スノウの麻酔と疫学の研究成果は互いに関連するものである。彼は一八三〇年代に医学教育を受けた。この時代、新しい医学世代は、医学を化学や比較解剖学などの医学に並行する科学と関連させた科学的医学として作り変えようとしていた。並行科学のなかに基盤をおくことの最終目的は、臨床家の洞察力を強化し、公衆衛生を改善することである。スノウはこの方向性を完全に納得し、彼の短い人生のなかでこの未来像を実現させたのであった。
彼は最初、治療している患者の呼吸器疾患に特別の興味を持ち、動物実験を行い、その知見や症例報告を医学集会や医学雑誌で発表した。一八四六年にエーテル麻酔のニュースが米国からロンドンに届いたとき、彼はすでに呼吸器病と呼吸生理学の専門家で、それから二年もしないうちに彼はブリテン島—さらには島外でも—最も成功した麻酔科医になっていた。一九四八年の秋「アジアコレラ」がロンドンに到達したとき、彼は気体の法則、呼吸生理学、麻酔薬について理解しており、この恐ろしい病気の性質と伝播に関する当時の理論に疑問をもった。その翌年、彼は考えをまとめた予備的な二つの論文を発表した。その時から四五歳で亡くなる一八五八年の六月まで、彼は麻酔を実施し、新しい麻酔薬に関する実験を動物および自分自身を使って行いながら、コレラ集団発生の情報を追跡した。彼は、実践の麻酔医であり疫学者であったのだ。
我々がこの解釈に至るまで五年がかかった。しかしその間、他の学者が描いてきた彼の断片的な生涯と遺産によって悩まされた。無礼を働きたいわけではない。それどころか、英国・米国の麻酔医・疫学者のスノウに関する仕事に賞賛の念をもって感謝したい。ジョン・スノウ記念講演会は毎年、麻酔と疫学の両分野で行われている。一九八〇年代中頃から研究者たちは、スノウの初期の生活について見直し始めた。たとえば、スノウの麻酔に関する主要論文の編集、彼の晩年の十年間の症例報告への注釈づけ、伝記の自費出版があり、また歴史的-社会学的観点からの博士論文が書かれた。我々の考えでは、今こそこれらの研究成果を取込んで、臨床医かつ学際的な思想家としてのスノウに関する総合的研究を行う時である。
我々はアンソロジー(詩撰)でなくモノグラフ(一つのテーマに関する研究書)を作るため、チームリーダーかつ最終校閲者を選んだ。さまざまな理由で、ピーター・ヴィンテン=ヨハンセンがこの役割を担ったので、彼が筆頭著者である。本書は共同作業の産物なので、あとの共著者名はアルファベット順にした。特定の章の「おもな執筆者」を指名したが、チーム全員で各章の大幅な編集と改訂を行った。プロジェクトが始まって二年目に、麻酔医を退職して医学史家として活動しているデイビッド・ザックを知った。彼の研究者および編集者としての貢献は大きかったので、本書の扉ページに感謝の印として名前を入れた。しかし、読みやすくするために彼が強く示唆した「英国主義」や麻酔の詳細な議論を入れることができなかったことは言っておかなくてはならない。
ジョン・スノウの著作の検索、単語解析、年代比較、地図や画像に関しては次のウェブサイトを参照されたい。
ミシガン州イーストランシング P・V-J
2019-09-24
【正誤表】下記の箇所に誤りがございました。ここに訂正するとともに, 読者の方々に深くお詫びいたします。
[第四章 ロンドンでキャリアを積む(一八三八〜四六年)]p.98 15行目
(誤)「スノウによれば、胸郭の解剖学と生理学はグッドマンの結論を支持しない。
(正)スノウによれば、胸郭の解剖学と生理学はグッドマンの結論を支持しない。