アウトブレイクに立ち向かうために!日本初の本格的実践書
米国疾病対策センター(CDC)をはじめとした公衆衛生機関に所属するエキスパートによる、アウトブレイクの現場等フィールドでの疫学調査や研究のための手引。経験則や形式化した方法に頼らないフィールド疫学の原理原則や方法論を踏まえたうえで、様々な状況に応じていかに実践に応用すべきか、具体例を提示しつつ手順を追って解説。長い年月を経て米国CDCが蓄えてきた専門知、経験則、技術の集積がまとめられた、医師、医療スタッフや公衆衛生の専門家必備の書。
PART 1 フィールド調査
第1章 フィールド疫学を定義する
第2章 オペレーション開始
第3章 フィールド調査の実施
第4章 データ収集
第5章 データ収集と管理のためにテクノロジーを使う
第6章 疫学データを説明する
第7章 分析研究のデザインと実行
第8章 分析とデータ解析
第9章 疫学と検査の協力体制を最適化する
第10章 質的データの収集と解析
第11章 介入の開発
第12章 アウトブレイクや公衆衛生調査におけるコミュニケーション
PART 2 特別な考慮
第13章 法的考察
第14章 複数の州と連邦政府機関の連携
第15章 国際的なアウトブレイク対応
第16章 緊急対策センターとインシデント管理システム
第17章 地理情報のシステムデータ
第18章 医療現場
第19章 コミュニティ集団というセッティング
第20章 急性の環境起源の曝露と状況
第21章 職業上の疾病と傷害
第22章 自然災害と人為的な災害
第23章 急性腸管感染症のアウトブレイク
第24章 意図的な使用が疑われる生物学的・毒性のある物質
第25章 自殺,暴力,そしてその他の傷害
『CDCのフィールド疫学マニュアル』を訳出し,読者の皆様にお送りできることを心から喜んでいます。
本書(原書)が出版されたのは2018年12月のこと。その存在にぼくが気づいたのは2019年の1月でした。ざっと流し読みしてこれは素晴らしい一冊と知りました。日本感染症界に必ず役に立つと確信し,即座にメディカル・サイエンス・インターナショナルの佐々木由紀子さんに翻訳出版できないかと相談しました。凄腕の佐々木さんはいつものようにあっという間に出版社から翻訳オプションを獲得,同年2月の会議で企画が成立しました。
ここでトントン拍子にぼくが翻訳作業を進めてしまえばよかったのですが,あれやこれやの諸事に忙殺され,なかなか取り掛かることができませんでした。ようやく11月に翻訳に手を出し始めたのですが,このペースではとても終わらないと観念し,複数の方々に助けを乞うての翻訳作業への方針転換しました。
これで作業は急ピッチで進むかと思いきや,新型コロナウイルス感染症の問題が発生,多くの訳者はこの対応に忙殺され,翻訳どころではなくなってしまいました。特に第一波のピーク時にはあちこちの診療現場で「医療崩壊」一歩手前の状況になり,我々は心身ともに切羽詰まってしまったのでした。
その後,なんとかかんとか日本は第一波を乗り越え,しばらく感染者もほとんどでない平穏な日々が続きました。ただ,疲労困憊の我々……いや,ぼく……はしばらく立ち上がることができず,いろいろな仕事に手をつけることができないままでした。多くの訳者の皆様は4月くらいから次々と訳出をお済ましになっていたのですが,ぼくが再び翻訳活動を再開できたのは7月になってからでした。そして,10月にはようやくすべての訳出が完了,校正作業も進行し,今に至っています。この危うい綱渡りを乗り越えたことに,各訳者の皆様に,そして編集の佐々木さんにこの場を借りて心からお礼申し上げます。
気力,体力ともにスッカラカンな状況だったにもかかわらず,諸先生方が多忙な業務の合間にこれだけの訳出作業をお進めいただけたのは,やはり本書のコンテンツがまさに「今,ここ」にある
COVID-19の危機にピッタリ当てはまっているからだと思います。この危機の最中に翻訳作業はそうとうな難事です。しかし,この危機にこそ本書は必要なのです。COVID-19ど真ん中の今こそ,本書は日本の世に出されなければならない。
本書は疫学の……それもアウトブレイクの現場,フィールドでの疫学調査や研究のマニュアルです。
そこには理念と理論があり,原理原則があり,加えて実践があります。理想と現実があります。1942年にその前身ができ,何十年もの間,発展,進歩,挫折,そしてその克服を繰り返してきた米国CDCが蓄えてきた専門知や経験則,技術とテクノロジーがあります。
CDCの疫学調査は必ずしも感染症に特化したものではなく,たとえば鉛中毒などさまざまな健康リスクを扱っています。しかし,なんといってもCDCは米国の感染症対策の中枢として長期にわたる実績を重ねてきました。21世紀になって世界各地で米国:疾病対策センター(Centers for Disease Control and Prevention:CDC)をモデルにしたCDCができています。米国CDCこそ,世界の感染症対策の雛形なのです。日本にはまだCDC,ありませんけど。
ぼくは2014年にシエラレオネで米国CDCの疫学者たちと合同調査する機会を得たことがあります。
第一印象は「話が通じる」でした。コノという地域のエボラ院内感染を調査していたときも,インタビューから報告書作成まで,ほとんどストレスなく概念理解を共有し,問題点を共有し,解決に導く理路や戦略を共有できました。PPE(個人防護服)を着用したナースが病院の回廊を闊歩していて,「なるほど,これでは院内感染が起きるわけだ」と即座に理解し合えました(ゾーニングの破綻)。プロの世界では国や文化やバックグラウンドが異なっても「話が通じる」わけです。ところが,日本ではこうはいかない。背広でマスク1枚で陣頭指揮をとり,PPEガッチリの職員がその横をすれ違っていく恐怖のクルーズ船の中で,ぼくは厚労省のお偉方に1つ,2つ提案をしてみました。が,彼はけんもほろろに「もう決めたことだから」と首を振りました。その提案の1つは隔離・解除時のPCR(polymerase chain reaction:ポリメラーゼ連鎖反応)を止めることだったのですが,日本がこういうプラクティスを実施するのには何か月もかかったのでした。
日本でも診療現場や公衆衛生のセッティングでさまざまなフィールド調査が行われます。しかし,ぼくの個人的な見解では,その多くは経験則や文書による「形式」を根拠としており,そこに明確なロジックやサイエンス,原理原則が確立しているようには思えません。形式化した方法も,地道な接触者検診などでは有効なこともありますが,たとえば,複数地域に及ぶ食中毒などが発生すると,途端に問題の原因を突き止められなくなったり,効果的な解決策を導けなくなってしまいます。そこにはテクノロジーの欠如も大きい。本書の第5章,あるいは第17章をお読みいただければ,米国の疫学調査がいかにテクノロジーを大切にし,巧みに情報を吸い上げ,迅速にデータを収集,統合,分析している,それも自動化していることを学ぶでしょう。紙,電話,FAXの応酬に忙殺されてきた(されている),そして滑稽なまでに使い勝手の悪いHER-SYS(Health Center Real-time information-sharing System on COVID-19:新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム)に呆然とするぼくたちには,彼我の違いは明白です。
その彼我の違いが明白な米国がこれほどまでに容赦なくCOVID-19に苦しめられている現実。その原因はどこにあるのか。それは気まぐれで感染症危機を過度に矮小化した大統領のせいなのか,あるいは理想と現実のギャップが案外激しい米国という国の影の一面なのか。ここはぜひ検討してみるべき大きな課題ですが,本書を読めばその秘密の一端は理解できるのではないでしょうか。
本書から学べるものは非常に大きい,と,ぼくは思います。が,本書から何も学ばない,という態度をとることも,不可能ではありません。これはコンテンツではなく,読者の態度や覚悟の問題です。これまで何度も何度も感染症対策の基本や基盤をつくるチャンスがありながら,ずっとスルーしてきた日本。
変わることができるでしょうか。変えることができるでしょうか。
2020年10月
岩田 健太郎
フィールド疫学(field epidemiology)は「懸念される公衆衛生上の問題に取り組むため即時のアクションをとるというゴールをもつ疫学」と定義される(第1章参照)が,米国の公衆衛生活動で主だった機能をもち,1951年の疫学情報サービス(Epidemic Intelligence Service:EIS)の設立以来,CDCのミッションにとって不可欠なものであった。数年かけて作成された『フィールド疫学(Field Epidemiology)』第1版はMichael B. Gregg医師による編集がなされ,1996年に出版された。その版の緒言において,1980年代中盤にCDCの疫学プログラム事務所の所長として在任中に本書の必要を着
想した1人,Carl W. Tyler Jr医師はこう書き記している。「フィールド疫学に特化した,明瞭に書かれ,とても使いやすい本が必要だ。公衆衛生上の問題に即時的に疫学を活用するためだ。このとき,緊急性の高い性格をもつ健康問題を解決するためにリアルタイムの場所と人に着目する基本的な疫学の原則が活用される」。初版はすぐに理解され,活用され,そして成功を収めた。そのため,第2版,3版と版が重ねられ,後者は2008年に出版された。2008年版から10年が経ったが,この間,疫学のフィールド調査や対応を迫られる公衆衛生上のチャレンジは絶え間なく発生し,そしてこの間,フィールド疫学の方法に関する科学やアートのイノベーションが起きた。そのため,CDCは本書の守備範囲や内容を改定する必要に迫られた。そうした刷新の結果が本書,第4版である。タイトルも改められ,『CDCのフィールド疫学マニュアル(CDC Field Epidemiology Manual)』となった。フィールド疫学活用上の守備範囲,方法,場所,その他の進歩を反映したものである。
初版の緒言は「本書はフィールド疫学の科学とアートを医療専門家に40年以上も伝授してきたCDCでの40年以上の経験がもとになっている」と記している。新たな第4版でも,その伝統を踏襲する。このマニュアルにおけるフィールド疫学の原則もまた,毎年やってくるEISオフィサーのトレーニングで用いるカリキュラムを引用,そして反映している。しかし,CDCのEISオフィサーのトレーニングでの根幹となる原則に着目しているからといって,本書が,CDCの行う疫学フィールド調査に限定的に役に立つと考えてはならない。前の版でもそうだったが,新しい版の大きなゴールは公衆衛生のプロやその他の医療従事者が全章を活用して,多様なフィールドのセッティングにおける広範な問題に取り組むことにあるのだ。
本版作成時に我々が追求したもう1つのゴールは,本書がフィールド調査を計画したり始めたりするときに疫学者にとって有用なものとすることである。初版の緒言にも書いてあるとおり,「本書は図書館の書棚に置いてあるときよりも,フィールド疫学者のかばんの中に入っていることが多く」なくてはならないのだ。しかし,前版のページ数は大きく増加した。初版が267ページ,第2版が411ページ,そして第3版が523ページだったのだ。本版がフィールドでもっと活用してもらえるように,我々はもっとリーダブルなフォーマットを追求した。BOXやブレットを用いた箇条書き。ポケット版の臨床マニュアルで時々使われている,あれだ。疫学フィールド調査のときに本書を用いる際,公衆衛生の実践者その他の読者諸氏が,コンパクトになった章立てや読みやすいフォーマットを有用と思ってくれることを願ってやまない。
本版では,疫学とサーベイランスの背景となる章を割愛した。この領域に属する多くのユーザーはこうした基本知識はすでにおもちだと思うし,こうしたトピックをもっと深く扱う媒介は存在するからだ。
同様に,その他の章も割愛している。たとえば,どのように科学論文を書くかに着目した,疫学データの情報交換の章だ。あるいは予防接種の章も。この新しい版はいろいろなフィールドでの調査を計画し,開始するためにつくられたものなので,州や地域の保健局の立場からのフィールド疫学の章も割愛した。
フィールド疫学のCDC概要の第4版は,即時にアクションと解決が求められる公衆衛生問題のフィールド調査へのアプローチのコアな内容については削除していない。一方,この版ではコアなところを膨らませて,たくさんの新たな取り組みも行っている。たとえば,デザインを改めてもちやすくしたり,有用性を高めたり,読みやすくしたり,2008年の最後の版が出て以来出現した疫学フィールド調査の方法の大きな進歩も取り込んでいる。これだけ大きな変化をもたらし,かつ新しい版がフィールド調査を活発に行う人のニーズに答えていることを確たるものとするため,我々は企画委員会を設立した。地域,州,国,国際レベルでのフィールド疫学でいろいろな経験をもつメンバーから構成される。我々はこの委員会のメンバーに,第4版を作成するに当たり,新しい章のトピックや著者を提案してもらうよう要請した。また,いろいろなフィールドのセッティングでこのマニュアルの有用性が最大化するよう提案を行った。委員会のメンバーは謝辞のところにリスト化されているが,本版作成の初期の段階で,エキスパートとしてのガイダンスを提供してくれたことにこの場を借りて感謝したい。
フィールド疫学におけるCDCの最初の特化した書物としての『フィールド疫学』の誕生以来,この領域のコアとなる原則は不変なままだ。こうした原則はすべての版に一貫して示されている。しかし,対照的に,フィールド調査が行われるアプローチ,方法,セッティングのタイプについては随分変化した。
そのため,この第4版では,すべての章が改定され,可能な限りフィールド疫学領域の最新の進歩についても言及している。前の版同様,本版での最初のセクション,「フィールド調査」はアウトブレイク調査の基本的なステップの展開に従ってまとめられている。たとえば,「フィールド疫学を定義する」から「オペレーション開始」,次いで「介入の開発」,そして「アウトブレイクや公衆衛生調査におけるコミュニケーション」と続いていくのだ。最初のセクションのそれぞれの章は活動に焦点をおいている。タイトルが示すとおり,アクションをベースにしているのだ。
この版ではさらに,フィールド調査中の協力の重要さを特に強調している。よって,検査科学の章はフィールド調査に関する最初のセクションに入れられ,「疫学と検査の協力体制を最適化する」とタイトルを変えたうえで厚みを増している。協力体制の重要さにより着目しているためで,最初は調査のプラニングという最初期から始められている。たくさんの州や国をまたぐ協力の重要性は,新たな章を追加して強調した。これは「特別な考慮」というセクションのところにまとめている(「複数の州と連邦政府組織の提携」や「国際的なアウトブレイク対応」)。最後に,生物や毒物を悪用した場合の公衆衛生問題を調査する際の協力体制の必要については新たな章,「意図的な使用が疑われる生物学的・毒性のある物質」が公衆衛生,司法機関,それ以外の従来とは異なるパートナーとの協力体制をカバーしている。
新しい版では,フィールド調査に用いられるキーとなるツールの莫大な進歩についても無関心ではない。よって新たな章が設けられたり,加筆がなされたりしている。たとえば,持ち運びできるコンピュータは今や標準的なものであり,フィールド調査に必要なものがここにすべて入っている。前の版でこのトピックを扱っていた章は新たな章に入れ替えられた(「データ収集と管理のためにテクノロジーを使う」)。どんどん広がるテクノロジーの世界を論じている。たとえば,モバイル・デバイスから環境センサーまで。フィールドでの対応をより効率的,そして効果的にしてくれるのだ。ツールの進歩に関する新たな章には,たとえば,地理情報システムデータの活用に関する章もあれば,疫学の質的データがますます使われるようになったために,「質的データの収集と解析」という新章もある。
最後に,疫学フィールド調査を促すかもしれないシナリオのタイプが進歩したために,本版では新しいシナリオを入れた章を加えた。たとえば,第3版では自宅外での小児ケアというセッティングでの調査のシナリオを入れた章があったが,この版では新たな「コミュニティ集団というセッティング」という新章を設けた。ここでは,教育施設や職場,マスギャザリング,拘置所でのシナリオを扱っている。「急性腸管感染症のアウトブレイク」という新章では,食物由来,水由来,その他の腸管病原体関連アウトブレイクの発見,調査,管理方法をまとめている。特に,食物由来の疾患における複数の管轄地域での調査に焦点を絞った。さらに,ある種の感染症の伝播に似ている暴力による怪我の広がりという疫学的現象に言及するため,この第4版は「自殺,暴力,そしてその他の傷害」のフィールド調査という新たな章を加えた。
新しい版ではたくさんの変更を行ったが,フィールド疫学の歴史的に重要な原則や伝統は守ってきた。CDCの疫学ブランチにおける初期のパイオニアたちのスピリッツを守るためだ。こうしたリーダーたちで特に抜きん出ているのがAlexander Langmuir医師で,EISプログラムの統括者かつ公衆衛生での疫学の広い活用のパワフルな支持者だ。そして,Philip Brachman医師。彼はCDC疫学部門の長きにわたるディレクターであり,EISプログラムを推奨して,EISがベースとなる地球規模のフィールド疫学トレーニング・プログラムの創設をリードした。Carl Tyler医師はCDC疫学プログラム事務所の前ディレクターだが,どんどん新しくなるフィールド疫学におけるビジョンをもっており,初版の『フィールド疫学』の執筆を導いた。そして,Micahel B. Gregg医師。過去3版の編集者で,CDCのMorbidity and Mortality Weekly Report (MMWR)の編集者として21年間勤め上げたし,CDCのフィールド疫学トレーニングのトップでもあった。
我々は公衆衛生での困難と取っ組み合い,疾病や障害が減り,人命を救うような介入方法をみつけるために,調査員がこの第4版が役に立つと思っていただけることを切に希望している。
Sonja A. Rasmussen
ジョージア州アトランタ
Richard A. Goodman
(『フィールド疫学』初版,1996年の共同編集者)
ジョージア州アトランタ
2021-09-09
【正誤表】下記の箇所に誤りがございました。ここに訂正するとともに, 読者の方々に深くお詫びいたします。
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(誤)=(リスク曝露群 / リスク非曝露群)/ リスク曝露
(正)=(リスク曝露群 − リスク非曝露群)/ リスク曝露