みんな 人の役に立ちたくて,何かがしたい。しかし現実には・・・
本書の著者、岩田健太郎先生はなぜカンボジア医療とかかわるようになったのか。医師を志したきっかけや、世界で役に立つ人間になりたいと考えた背景、留学時、若手医師時代のエピソードなど自身の経験を踏まえ、軽快な語り口で話を進めていく。また危機感を抱いているとおっしゃるカンボジア医療の現状を、現地の第一線で活躍してきた医師、林祥史先生との対談を交え明らかにする。「人の役に立ちたくて、何かがしたい」医学生、医療従事者へ贈る書。
Part 1
アンジェリーナ・ジョリーと「最初に父が殺された」
アンジェリーナ・ジョリーとカンボジア
カンボジアと新型コロナ
アンジェリーナ・ジョリーとぼくが注目するカンボジアとは?
ウクライナの難民を考えながら,カンボジア難民問題を振り返る
ぼくがカンボジア難民を考えるようになったきっかけ
日本の積極的な「カンボジア難民」対策
1920 年代のロシア飢饉における難民
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)
なぜ,今,カンボジアなのか
なぜイワタがカンボジアに行くのか。個人的な話
差別感情とは何だろう?
それは差別表現の形式化である(ブログより)
フラットな価値観
世界で通用する人物になりたい
イギリス留学と医学部進学
「世界で通用する」とはどういうことか
アメリカに対する憧れゼロからスタートしたアメリカ研修
アメリカ研修後の次のステップ
カンボジアとのニアミス,そして途上国の医療に対するぼくの立ち位置
2005 年のシハヌーク病院
シハヌーク病院のER
シハヌーク病院にいる外国人ドクターたち
寄稿:臨床研修をカンボジアで行う新たなパラダイム構築を目指して
途上国臨床研修の意義
モデルとなったフィリピンでのフェローシップ・プログラム
シハヌーク病院の変化と,医学部での学生教育の開始
カンボジアの基本知識
カンボジアの地理,気候,民族
カンボジアの言語
カンボジアの宗教
カンボジアの文化
カンボジアの国王
カンボジアの歴史
プレ・アンコール(西暦802 年まで)
アンコール(802 ~ 1431 年)
ポスト・アンコール(1431 年以降)
フランス植民地時代
20 世紀以降
日本の影響
反仏独立運動,そしてカンボジア王国の独立
ベトナムの話を少し
ジュネーブ協定後,シハヌーク統治下
カンボジアとベトナム戦争,ロン・ノルの無血クーデター
ベトナム人のいない,真にカンボジア人による内戦
クメール・ルージュによる,プノンペン住民の強制移住
クメール・ルージュによるカンボジア人の大虐殺
ベトナムの侵攻とカンボジア難民の大量発生
カンボジア和平交渉
カンボジアの現在
カンボジアの医療
カンボジアとHIV
カンボジアの結核
カンボジアのマラリア
カンボジアのハンセン病
カンボジアの医療費
カンボジアの医療近代史
現在のカンボジア医療制度
カンボジアの医学教育
聞き取り調査
カンボジアのコロナ対策
Part1引用文献
Part 2
対談: 世界で役に立ちたいあなたへ 岩田健太郎×林祥史
まずは林先生の自己紹介から
カンボジアに行き着いたのはまぐれだった
日本とカンボジアの医学生はある意味似ている
カンボジアでの病院経営について
カンボジアにはいろんな国からの支援がある
コロナ禍のカンボジアの状況
帰国後の林先生
コロナ診療は特殊なのか?
今のところ,リベラルじゃない国のほうがコロナ対策はうまくいっている
医療が成熟途上にあるという意味で,日本とカンボジアは似ている
岩田先生のカンボジアでの活動,そして現在
カンボジアの今の状況,そして未来
今の日本の若手医師では,国際的な活動をする人が減っているのは滅びの道? 茹でガエルにはなるな!
国際的な舞台に出ようと思えば出られる,議論ができるようにしておくことが必要
世界の中心にいるというのは勘違い
IT の世界はものすごく進んでいるのに,日本の感染対策の時計は止まったまま!
アジアの医療者が日本にやってきたら,日本の医療者はあまりの優秀さに青ざめるかも
林先生の海外志向
今後,岩田先生は世界のどこで活動するのか?
日本と海外の働き方の違い
日本で可能性があるのは女性の人材活用
週に1 時間や2 時間で大成できるものはない
語学は,のめり込みさえすれば,たいていの人は習得できる
To the Happy Few
参考文献
あとがき
2005 年に初めて訪れてから,カンボジアの医療についてまとめたい,とずっと思っていた。いや,もしかしたらジョブ・インタビューを受けた2002 年くらいからそう思っていたのかもしれない。あれから,10 年以上,20 年近く経った。もちろん,その間,なんやかんやあったので,それでカンボジアについて調べたり書いたりする作業は中断されまくってたのだけど,そんなのはもちろん,言い訳にはならない。まったくもって自身の怠惰を呪うばかりだ。
痛切に自分の怠惰を呪ったのは,アフリカも同様だった。2014 年からの西アフリカのエボラを論じたポール・ファーマーの“Fevers,Feuds, and Diamond”。ぼくはこれを訳出したのだが,これもコロナの「なんやかんや」でたびたび中断された。困ったな,と思いながらも,どこかに「仕方がない」という思いもあった。しかし,これが甘さである。結局,ずるずると訳出を後回しにしているうちに,ポールは帰らぬ人となってしまった。
ようやく2022 年3 月になり,『熱、諍い、ダイヤモンド』という訳書は世に出た。本書を読み,そして訳出していくうえで,またしても自身の怠惰を痛感させられた。ぼくは西アフリカで目の前のエボラ対策に汲々としていたのだけれど,ポールはこの間,「なぜ,西アフリカでエボラなのか」という根っこにある問題(root cause)を分析し続けていた。「アフリカは貧しい国で,内戦やら,なんやかんやあって,エボラで苦しんでいる」とざっくりはまとめなかった。歴史を紐解き,構造を看破し,そしてなぜ西アフリカの悲惨が,今のような形での悲惨なのかを説明しようとした。「そうでなくてもよかった世界,そうでなくてもよかった歴史」のターニングポイントを探しているようにも,ぼくには思えた。
ぼくも,同じことをやりたいと思った。現在のカンボジアは,なぜ現在のカンボジアなのか。それを理解するには過去を理解するしかない。歴史から学ぶのだ。歴史を学べば,現在のカンボジアが理解できる。そして,現在のカンボジアを理解することだけが,カンボジアの未来像を切り開く手段である。
恥ずかしい話だが,ぼく自身,歴史学という学問を軽蔑してきた。日本史にしろ,世界史にしろ,年号や人物や事物を暗記して,試験で吐き出して,次の日忘れるようなものだろ,と思っていたのだ。別に医者が世界史や日本史の知識がなくたって,職業上困ったりはしないだろう,と。
これが大きな間違いなのだ。カンボジアの医療にコミットしようと思うと,カンボジアの医療の現状を理解しなければならない。現状が理解に困難な場合は「なぜ,現在は,今のような現在なのか」と問わねばならない。その先にあるのは,当然,過去となる。過去を学んで初めて現状が理解できる。現状を理解して,初めて未来像も展望できるし,現状打破が可能になる。歴史を学ぶとは「なぜ?」という質の高い質問を問い続けることなのだ。ぼくがそのことに気づいたのはもう中年になってからである。本当に恥ずかしい。
もちろん,ぼくと,「医師の理想像」であるポール・ファーマーでは天と地ほどの差がある。同じことはとうてい,できない。ぼくは自分の小さな能力の限り,カンボジアについて調べてみたけど,ポールのように人類学の専門性などもっていない。歴史学についても素人以下だ。
本書は,そういうド素人が調べただけの話である。故人になった三代目三遊亭圓歌が好きで,よく音源を聞いている。特に「西行」が好きなのだが,北面の武士・佐藤兵衛尉憲清,のちの西行,をネタにした落語である。
史実を掘り下げながら,たくさんの笑いを交えたこの「西行」,最後は「三代目圓歌が,調べただけでございます」とさげている。
本書もまた,イワタが調べただけ,なのだ。
(著者あとがき)
2022-09-20
【正誤表】下記の箇所に誤りがございました。ここに訂正するとともに, 読者の方々に深くお詫びいたします。
160ページ上から3行目
(誤)結核審議会
(正)結核診査会(正式名称は感染症診査協議会 結核部会)